五戸絲料とは? わかりやすく解説

五戸絲料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/01 04:24 UTC 版)

アガル・タマル」の記事における「五戸絲料」の解説

五戸絲料の徴収内容について最も詳細な記録残しているのが『秋潤先生大全文集』巻80中堂事記(上)」である。 中統元年三月……諸の投下の五戸絲料(割注訳語に阿合探馬児という)は自来、就いて州郡に徴す。堂議にいう。かくの如きはこれ恩、上に出でず、また政体において一ならずして、未だ便ならず。奏してゆるさるれば、みな大都の総に喩し、毎歳、各投下をして官を差して省に赴かしめ、数を験して関支せしめんと。その法は、毎戸に絲二十二両四銭を科す二戸計では絲二斤一十二両八銭にあたる。その二斤はすなわち官に納むる正絲に係わる。(その)内で正絲、色絲おのおの半ばすほか、毎戸のあまり六両四銭をもってあつめて五戸に至らば、二斤の数目に満たして、本投下付して支用せしむ。これを二五戸絲という。十分を以てこれを論ずれば、官に納むるもの七分投下その三を得る。諸投下五戸絲料(訳語曰阿合塔木児)自来就徴於州郡。堂議云、如此是恩不上出、事又不一政体、未便。奏准、皆輸大都毎歳令各投下差官赴省、験数関支。其法、毎戸科絲二十二両四銭。二戸計該絲二斤一十二両八銭。其二斤即係納官正絲。内正絲色絲各半外、将毎戸賸餘六両四銭儹至五戸、満二斤数目、付本投下支用。謂之二五戸絲。以十分論之、納官七分投下得其三焉。…… — 『秋潤先生大全文集』巻80中堂事記(上)」 以上の記述要約すると、「五戸絲とは1戸につき“絲22両4銭=1斤6両4銭”を供出させる税で、そのうち1斤を申央に、6両4銭を投下納める税法である」となる。ただし、実際徴収は「2斤」を単位としていたため、中央納める分は「2戸ごとに2斤の徴収」、投下領主納める分は「5戸ごとに2斤の徴収」となり、前者全体の7割、後者全体の3割を占める、というのが「中堂事記」の述べるところである。これを更に言い換えると、「五戸絲として集められ税収の内7分の5(5戸で5斤)が国税として国庫入り、7分の2(5戸で2斤)が地方税として投下領主与えられた」となる。 ただし、「2斤」が徴収単位となったのはクビライ即位中統元年/1260年)以後のことで、『元史』巻93食貨志にはオゴデイ時代には「2戸ごとに絲1斤を出させた(毎二戸出絲一斤)」と記されている。すなわち、モンゴル帝国初期には「2戸ごとに絲1斤」が中央の、「5戸ごとに絲1斤」が投下領主取り分とされ、ここから五戸絲」の呼称起こったものと考えられている。 また、元史』巻5世祖本紀には1263年中統4年)に「10戸ごとに絲14斤」を供出するよう定められたことが記録されているが、これも「中央の取り分(5戸ごとに5斤)」と「投下領主取り分(5戸ごとに2斤)」をあわせた数に合致する。この記述により、大元ウルスでは投下領主属する「五戸絲戸」のみならず一般の「大数目戸(大官皇帝属する戸の意)」も一律に「5戸ごとに7斤(1戸あたり1斤6両4銭)」が徴収されていたことがわかる。

※この「五戸絲料」の解説は、「アガル・タマル」の解説の一部です。
「五戸絲料」を含む「アガル・タマル」の記事については、「アガル・タマル」の概要を参照ください。

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