五大電力の出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)
名古屋電灯・九州電灯鉄道が多数の事業者を合併して東邦電力となった1910年代後半から1920年代初頭の時期にかけて、関東地方では日本初の電気事業者である東京電灯が、関西地方では宇治川開発を目的に発足した宇治川電気が、それぞれ相次ぐ合併によって事業規模を拡大していた。さらに名古屋電灯から派生した大同電力、宇治川電気の姉妹会社として設立された日本電力の2社が積極的な水力開発により電力卸売り会社として台頭した。この東邦電力・東京電灯・宇治川電気・大同電力・日本電力の大手5社を「五大電力」と称する。 当時の電力会社は一般に、大戦景気期の電源開発計画が1920年代の戦後恐慌以降に続々と竣工したことで、余剰電力を多数抱えていた。余剰電力の発生は電気化学工業などの需要開拓にもつながったが、基本的には販売先をめぐって需要家を争奪する「電力戦」に発展し、ことに五大電力の各社間では激しい競争がいくつか生じた。最初の五大電力間の紛争は、1923年に日本電力の名古屋進出によって生じた東邦電力・日本電力間の紛争であるとされる。以後1930年代初頭にかけて、関東・中京・関西の3地方を舞台に東京電灯対東邦電力・日本電力・大同電力、宇治川電気対大同電力・日本電力といった組み合わせで規模の大小はあるが紛争が相次いで生じた。 東邦電力では発足以降、五大電力間の競争にも加わりつつ事業規模を拡大していった。以後の沿革については、電源の推移、広域連系と周辺事業者の系列化、供給の推移、業績の推移の4事項に大別して記述していく。
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