五・一五事件批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 06:47 UTC 版)
五・一五事件の批判をした論文には次がある。 桐生悠々「五・一五事件に対する当局の謬見」(『信濃毎日新聞』1933年5月10日)「そ(反乱罪)の性質の憎むべく、呪うべくは論を待たないのみならず、その被害の及ぶ範囲も程度も甚大である」。「こうした暴動を名誉的とするものは、名誉の意味を取り違えた変態的心理の持ち主である。言い換えれば、狂人の仕業である」。 桐生悠々「五・一五事件の政治的結果」(『信濃毎日新聞』1933年5月19日) 桐生悠々「五・一五事件と国民の積極的責任」(『信濃毎日新聞』1933年8月9日) 桐生悠々「五・一五事件の大教訓」(『信濃毎日新聞』1933年8月20日) 河合栄治郎「五・一五事件の批判」(『文藝春秋』1933年11月11日)(1) 軍人が主導したことが問題である。i) 軍人には本来目的があり、それから逸している。ii) 軍人にさまざまな理由から政治主導する資格はない。 (2) 武力公使したことが問題である。革命主義か議会主義かで、革命主義がよいとする理由はない。「革命主義はただ自己のみが正しいとする自負心のうえに立脚する」。国民多数の同意なしでも改革は形式を整えることはできても、「改革の効用を発揮しえない」。 (3) 思想内容が問題である(中身は「社会思想の批判」参照)。
※この「五・一五事件批判」の解説は、「ファシズム批判」の解説の一部です。
「五・一五事件批判」を含む「ファシズム批判」の記事については、「ファシズム批判」の概要を参照ください。
- 五一五事件批判のページへのリンク