二重相場制の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 21:51 UTC 版)
改革開放によって、海外から中国に来る華僑と外国人観光客が増えた。中国は、これらの華僑と外国人向けの外貨「兌換券」制度を導入した。兌換券は人民元の価値で表示するが、外貨との間で自由に交換できる機能を持っていた。一般人民元は外貨と交換できなかった。外国人は外貨を兌換券に交換し、使い切れなかった場合、外貨に交換し戻すことができた。1981年に中国が確立した人民元為替制度は、これまでの公定レートに貿易決済内部レートを新設して並行させる二重相場制だった。公定レートが1米ドル=1.5元の水準にあったのに対し、貿易決済内部レートは貿易の状況に応じて1米ドル=2.8元の水準に決められた。参考にしたのは、貿易購買力平価の理論だった。実際の国際貿易で取引される商品の国内外価格を比較して決定した。当時の国際貿易で取引される平均外為交換コストを用いて、企業に10パーセントの利益を加えて調整した結果、貿易決済内部レートは1米ドル=2.8元とした。1984年、中国では物価制度を見直した。それまでの計画経済時代は国内の物価はすべて物価局によって定められていたのを、市場経済に転換したことで改革が必要となった。同年発表の「中国共産党中央経済体制改革に関する決定」により物価制度改革がスタートを切った。その一環として1985年1月1日に中国は二重相場制をの廃止を発表し、人民元為替レートを一本化した。公定レートはそれまでの貿易決済内部レート1米ドル=2.8元に設定した。その後、人民元為替レートは輸出外為交換コストの上昇につれて段階的に切り下げられていった。1993年末には1米ドル=5.8元となった。一方、1980年からスタートした貿易に伴う企業間の外為調整センターが誕生し、その後各地で外為調整センターが設立された。1998年に中国は再び二重相場制に入った。それは、外為調整センターでの取引レートと公定レートの二重相場だった。
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