二度の衝突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 18:06 UTC 版)
「最上 (重巡洋艦)」の記事における「二度の衝突事故」の解説
最上は太平洋戦争中、二度の衝突事故に見舞われた。1度目はミッドウェー海戦で第七戦隊で行動中だった。先頭の旗艦熊野が右45度前方にアメリカ潜水艦タンバーを発見、左45度一斉回頭を命令。回頭後に再び潜水艦を発見し、二度目の左45度緊急回頭を命じた。しかし、後続艦が2度目の回頭信号を新規命令か1度目の命令の確認かで混乱し、後続の鈴谷は45度、熊野と3番手の三隈は90度転針。隊列が乱れ、三隈の左舷中央部に最上の艦首が衝突した。 2度目はレイテ沖海戦で、スリガオ海峡に到着した志摩艦隊が午前4時15分、炎上する最上を発見した。志摩艦隊の那智は、最上が停止していると誤認し、面舵を取って前を通過しようとしたが、最上は8ノットで前進しており、那智の左舷に艦首が接触した。衝突は那智の誤射が原因という証言もある。当時、那智艦内で『敵の戦艦らしき艦影、左前方大火災。止めをさす』という放送があり、那智は右に回頭しつつ魚雷8本を発射、最上が魚雷を回避するため面舵に転舵し衝突したという。最上は羅針盤を応急修理する間、志摩艦隊とも離れてしまった。発令所長は「陸戦隊にはなれない。海軍軍人は艦に乗ってこそ役に立つ人々であり、艦を乗り換えて奉公したい」と上申し、荒井砲術長も同意して南進を続けた。
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