九代目:渡辺啓一郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 03:46 UTC 版)
1934年(昭和9年)2月18日生。瀬戸市の裕福な家庭に生まれ育つも、あまりの素行の悪さに業を煮やした親によって六代目瀬戸一家の筆頭若衆であった田中治六(のちの七代目)のもとに預けられたことから、そのままヤクザとなった。地元の愚連隊との抗争の過程で1954年から4年間を服役。その間に田中が他界したことから、出所後は蒲郡の小林金治八代目のもとに引き取られ、“東海道の荒道場”と称されるほどの厳しい部屋住みのなかで修行を重ねたと伝えられている。やがて一本立ちを許された1958年に瀬戸の費場所を任された貸元となった。小林八代目の1周忌が過ぎた1986年6月に瀬戸一家を継承した。中京戦争ののち、運命共同会、導友会、稲葉地一家、平野屋一家とともに親睦団体である中京五社会を結成した。 1991年(平成3年)、運命共同会内鉄心会の一部の組員が上部団体の運命共同会に対して、五代目山口組弘道会への移籍を求めた。運命共同会は移籍を求めた鉄心会組員全員を破門にした。同年1月26日、名古屋抗争が勃発した。 詳細は「名古屋抗争」を参照 同年2月に抗争は終結したが、その後運命共同会は実質的に崩壊し、中京五社会も瓦解した。同年3月、渡辺総裁が五代目山口組組長・渡辺芳則から盃を受け、同組の直参となった。2008年に引退し、跡目を清田健二に譲った
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