九代目石川藤八
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 03:55 UTC 版)
「石川藤八 (7代目)」の記事における「九代目石川藤八」の解説
九代目石川藤八は静岡県浜名郡吉津村古見の父土屋松五郎・母いとの三男として生まれる。後に、豊田式織機社長を務めた土屋富五郎は長兄である。また、豊田佐吉とは親戚になる。佐吉の義理の従兄弟である。 七代目藤八には跡継ぎとなる男子がいなかった。そのため佐吉が藤八に養子を紹介した。「豊田佐吉傳」の中の『東洋の豊田だ』という小題のついた部分に七代目及び九代目藤八に関する記述がある。この中で、養子縁組の仲人を豊田佐吉が務めたと記述されている。名前が岩三郎ではなく通称名の岩吉、また九代目が佐吉の従弟となっている。多少事実と異なる部分もあるが、大筋としては正確である。 九代目は七代目藤八の娘たきと1906年(明治39年)9月19日に結婚する。そして、同時に六代目藤八の妻きくと養子縁組をして石川姓となる。九代目は知多織物工業協同組合理事長、半田市議会議員、半田商工会議所役員等をつとめた。九代目藤八は地元では誰もが知っている名士であった。そのため、多くのトヨタに関連する資料で、最近まで七代目と九代目が取り違えられていた。九代目藤八は七代目が務めていた興和紡績の社外監査役を七代目没後に引き続き務めた。
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