久須本組
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:26 UTC 版)
久須本清五郎 久須本組組長。小規模の組の組長ながら極道の間で「最後の博徒」とあがめられ、「九州のすべての極道をまとめあげられるのは彼のみ」とさえ言われるほどの人物。 極道の世界に入った当初の本郷に手を焼いた岸田が、兄筋の久須本に本郷を育てるよう頼み本郷を久須本のもとへ預けた。そこで本郷は極道としてのイロハを徹底的に叩き込まれた。このことから本郷は、久須本のことを「育ての親」と慕っている。昔ながらの仁義を重んじる古風な極道であり、それを慕う九州の極道も多い。 伊能の策略により、使者のして遣わされた黒田から「親殺しは本郷に間違いない」と吹き込まれるものの、その後久須本のもとに現れた徳丸の義を通した命がけの行動に感動し「ウソのためには命は掛けられない」と言い切って本郷の潔白を信じ、本郷に全面協力することを約束した。この姿勢に怒りを覚えた伊能の口車に乗った若頭の進藤に刺殺される。 進藤 久須本組若頭。 九州に縁もゆかりもない余所者である本郷に岸田組と対決してまで久須本組が協力することに不満や恐れを抱いていた。そのことを伊能たちに突かれ、籠絡されてしまい、自らの手で久須本を殺害、さらには同じく久須本邸にいた徳丸をも殺害せしめようとした。このことにより、岸田組の傘下に入ることになった進藤はその挨拶のため岸田組本部を訪れたが、その夜に本部を襲撃した本郷たちの手により殺害される。 伊能に初対面した際は、伊能から「光和会が九州を制圧した際は光和会の九州地区の縄張りを任せる」と言われ感激した。しかし、伊能は実際は進藤をただの使い捨ての駒としか見ておらず、九州地区の縄張りを任せるという話も九州制圧のための捨て駒にさせるべく進藤をさらに籠絡させるための虚言だった。 牧原 泰治 二代目久須本組組長。 市川 芳美 二代目久須本組若頭。 富樫 昌也 久須本組 若衆。 久須本修次 三代目久須本組組長。幸造の実子で父親譲りの器量の持ち主であるが、極道の社会そのものに反発し、出奔後は東京で板前の修行をしていた。本郷とは少年時代に面識が少しあった。後に久須本組の危機を新聞で知り、当初は「関係ない」と帰郷を拒んでいたが、故郷と組を守るために板前の将来を捨てて久須本組に戻り、三代目組長を襲名する。その後は本郷組と協力関係となり、本郷組の仙台遠征の際には応援として駆けつけた。光和会と本郷組の戦争では応援として上京しようとするも丸腰のタイミングを光和会構成員に襲われ、射殺された。
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