久須本修次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:26 UTC 版)
三代目久須本組組長。幸造の実子で父親譲りの器量の持ち主であるが、極道の社会そのものに反発し、出奔後は東京で板前の修行をしていた。本郷とは少年時代に面識が少しあった。後に久須本組の危機を新聞で知り、当初は「関係ない」と帰郷を拒んでいたが、故郷と組を守るために板前の将来を捨てて久須本組に戻り、三代目組長を襲名する。その後は本郷組と協力関係となり、本郷組の仙台遠征の際には応援として駆けつけた。光和会と本郷組の戦争では応援として上京しようとするも丸腰のタイミングを光和会構成員に襲われ、射殺された。
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