久秀の抜擢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:16 UTC 版)
松永久秀の抜擢は、三好政権における人事の特殊さを表していると指摘される。低い身分、外様からの重臣への抜擢自体は他の大名家でも見られるが、上杉家は樋口兼続に直江家の後を継がせ直江の城と家臣団を継承させ、北条家は福島(櫛間)綱成に北条の名字を与え一門に列席させるなど、抜擢するに応じて相応の家格・地位・領地・家臣団を与えている。滝川一益や明智光秀を外様から抜擢した織田信長も、家格という観点から秩序維持の為に、光秀や丹羽長秀に惟任氏、惟住氏の名跡を継がせている。信長の場合、彼らの出世が従来の織田家譜代を中心とする家格秩序と齟齬をきたすであろうと信長が予測し、その齟齬を未然に防ぐための措置と指摘される。 これらと比較して、三好長慶は久秀や岩成友通を登用し、彼らは三好政権で枢要な地位につくほどの重臣となったが、彼らが阿波時代からの三好譜代の名跡と家格を継承した形跡はない。これは三好家の人事登用が従来の家格秩序にとらわれないものであったことの証左と言われる。天野忠幸は、この抜擢について、摂津の土豪など元々は低い身分で独自の領地や家臣衆を持っていない者を取り立てて、その基盤が三好長慶自らの信頼だけの、自分に忠誠を尽くす家臣団を作ろうとしたと指摘している。
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