中央競馬へ移籍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 08:35 UTC 版)
1973年1月12日、ハイセイコーはホースマンクラブに5000万円で売却された。武田牧場場長の武田隆雄は、(株)王優がはじめからハイセイコーを中央競馬へ移籍させる意向であったようだと述べており、江面弘也によると武田牧場側は売却に際し、大井でデビューさせた後中央競馬へ移籍させるという条件を付けていた。作家の赤木駿介によると、ホースマンクラブが新たな馬主となったのは、同クラブの代表者である玉島忠雄が大井競馬を訪れた際、条件次第ではハイセイコーを購買できるという噂を聞きつけたのがきっかけであった。大川慶次郎によると、当時の日本競馬界では「中央は中央、地方は地方」という風潮が強く、地方から中央への移籍は4歳の秋以降に行われるのが一般的で、4歳になったばかりの時点で行われるのは珍しいことであった。 1月16日、ハイセイコーは東京競馬場の鈴木勝太郎厩舎に入厩した。この時ハイセイコーは初めて足を踏み入れる厩舎の様子を用心深く探る素振りを見せ、この用心深い性格が後に出走レース選択に関し陣営を苦しめることになる。新たな担当厩務員は、鈴木厩舎の中で人格・技術ともに評価の高い大場博が務めることになった。
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