中国天主教愛国会への参加
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1956年7月、皮漱石とその他3人の司教(湖北省襄陽教区の易宣化、四川省南充教区の王文成と陝西省盩厔教区の李伯漁)は、北京で中国天主教愛国会準備会議に参加した。同年11月には、「(中国天主教愛国会)準備事務所の全ての仕事を、労苦をいとわず実際の行動で支持せねばならない」と表明した。 1957年7月、彼は中国天主教愛国会第一次会議で初代主席に当選する。1958年から1963年までの間、皮漱石は多くの自選自聖司教の聖別式を司式した。彼により聖別されたのは、済南教区董文隆、周村教区宗懐徳、益都教区賈福善、曹州教区李鳴月(1958年6月1日、済南)、長沙教区熊徳達、澧県教区李震林、常徳教区楊高堅、衡陽教区郭則謙、岳陽教区李樹仁(1958年10月26日、長沙) 、北京教区姚光裕(1959年7月26日) 、上海教区張家樹、杭州教区呉国煥、寧波教区舒其誰、温州教区方志剛(1960年4月27日、上海) 、開封教区何春明、正定教区劉安祉、韶州教区夏学謙、昆明教区孔令忠、太原教区李徳化、汾陽教区高庸、福州教区林泉(1962年1月24日、北京)等である。 1962年1月21日には、中国共産党中央委員会副主席と全国人民代表大会常務委員会委員長であった朱徳と会見した。
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