中世、十字軍の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:26 UTC 版)
シリア沿岸は12世紀末に第1回十字軍に征服され、タルトゥースはトリポリ伯国の町・トルトーザとなる。1123年にはトルトーザの聖母教会(church of Our Lady of Tortosa)が建立された。教会建物は現存しており、中にある祭壇には多くの巡礼が訪れている。聖堂の建物自体は、ムスリムがタルトゥースを取り返した後はモスクとなり、オスマン帝国時代には兵営となっていた。フランス統治下で改修された後は市の博物館として使われ、アムリト遺跡からの出土品やこの地域一帯の遺物を展示収蔵している。 ヌールッディーンは十字軍からタルトゥースを一時的に奪回したがすぐ十字軍側に奪われた。1152年にはテンプル騎士団の手に渡り、軍事司令部が置かれた。テンプル騎士団はタルトゥース(トルトーザ)付近に大きな建物をいくつも築いた。大きな礼拝堂と精巧な塔のある、分厚い同心円状の二重の城壁で囲まれたコンセントリック型の城はその一つである。騎士団の使命は、トルトーザの街と周囲の土地やキリスト教徒の入植地をムスリムの攻撃から守ることだった。1188年、トルトーザ市街はサラーフッディーンにより陥落し、テンプル騎士団の司令部はキプロス島へ移った。しかし騎士団の一部がトルトーザの城塞に立てこもりサラーフッディーンの軍勢もこれを陥落させることができなかった。 トルトーザの城塞は、バニヤース付近の山の上に築かれた聖ヨハネ騎士団のマルガット城(Margat、またはQalaat al-Marqab)などとともにさらに100年に渡って西洋人の基地となり城の守りは強化され続けた。13世紀末、エジプトでマムルーク朝が勃興しシリアに侵入し、マルガット城は1285年に降伏した。アッコ(現イスラエル)は1291年に陥落し、続いてトルトーザも陥落した。トルトーザはテンプル騎士団がシリア本土に維持した最後の前哨であったが、対岸のアルワード島はなおもテンプル騎士団が守り、イル・ハン朝のガザン・ハンと手を結んでシリアに再上陸しようとした。しかし1302年、マムルーク朝との攻防戦の末アルワード島も陥落した。
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