中世・創建期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:53 UTC 版)
正確な創建時期は不明だが、室町時代の康正 3年(1457年)、山川郷諸川を支配した山川景貞により、円福寺に末寺として寄進されている。円福寺は当時、古河市に隣接する八千代町の今里にあり、現在は下妻市下妻丙に所在する。円福寺過去帳に見られる歴代住持のうち、行堅と行乗が宝蔵寺に入った。 文明 2年(1470年)、性宥によって中興される。性宥以前については、天明 5年(1785年)3月に作成された宝蔵寺歴代住持の位牌に、代々先師として行堅と行乗が挙げられていることから、行堅が開山とされたことが分かるが、他に裏付けとなる史料がない。中興以前は円福寺のもとで、醍醐寺三宝院流の支流・地蔵院流実勝方の真言宗寺院として栄えた。 中興以後は、性宥により鶏足寺流(慈猛意教流)がもたらされたと考えられている。寛永10年(1633年)の『関東真言宗 本末寺帳』に、諸川宝蔵寺は「本寺鶏足寺流」とあること、また、小松寺の「願行流血脈」 に記された鶏足寺流相承者に「伏木大聖院の性宥」があり、宝蔵寺中興の性宥と同一人物と推定されることによる。
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