中世以降の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 07:39 UTC 版)
『鎌倉遺文』には、弘安2年(1279年)に多武峰寺との間で寺領をめぐる争いが記録されており、山田寺が存することが伺える。発掘調査によれば、鎌倉時代から室町時代の瓦や、鐘を鋳造した痕跡が出土しており、講堂を中心に再興されたことがわかる。なお、興福寺と記された軒瓦が出土していることから、興福寺の末寺になっていたと考えられる。現・山田寺には江戸時代の紀年銘をもつ石碑などが残っている。
※この「中世以降の様子」の解説は、「山田寺」の解説の一部です。
「中世以降の様子」を含む「山田寺」の記事については、「山田寺」の概要を参照ください。
- 中世以降の様子のページへのリンク