与党・共和党の発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 13:46 UTC 版)
「韓国における政党史」の記事における「与党・共和党の発足」の解説
5.16軍事クーデターで政権掌握した軍部(国家再建最高会議)は、政治活動がまだ禁止されていた1962年夏頃から金鍾泌中央情報部部長を中心に民政移管後の与党となる政党作りを進め「民主共和党」(共和党)を1963年2月に創党した。共和党は旧来の政治経験者を排除し、学界・言論界・法曹界・財界の出身者を中心に組織された政党で、党総裁を中心とした少数のエリートによって運営される体制となっていた。結党準備過程では62年末に明らかになった党機構案(通称:金鍾泌プラン)をきっかけとして、金鍾泌派と金東河派との間で対立が生じる等、正式に共和党を旗揚げするまでには、紆余曲折があり、一部勢力は野党人士と共に自由民主党を結成した。 また軍部は民政移譲に備えて1962年12月に政党法(これ以前の政党要件は米軍政時代の1946年に公布された米軍政法令第55号「政党に関する布告」にて「政治的活動に従事する者が3人以上いる団体と規定しており、非常に緩やかであった。そのため米軍政期と第一共和国時代に政党が乱立する一因となった)を制定、政党の国家管理を模索した。同法では、立候補者の政党推薦制度、国会議員が政党を離党若しくは変更した場合や政党が解体された場合の議員資格喪失、無所属の立候補禁止などが盛り込まれていた。
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