不輸と不入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/26 18:00 UTC 版)
荘園などが国衙からの使者(検田使・収納使・四度使など)の立入を拒否することが出来る権利。後には検非違使及び国衙による警察権行使の排除とそれに伴う荘園領主による警察権(検断権)行使の権限も含まれるようになった。 一般的に不入の権を持っている荘園は、不輸の権も合わせて持っている場合が多く、両者がセットとして考えられがちではあるが、班田収授法が機能していた時代には不輸の田地に対しても班田使が調査を行って班田の対象外であることを確認することが行われており、後世においても不輸の田地でも不入の権を有していない田地も存在していた。更に10世紀末期において域内に公田を含まない(「公田不交」)荘園に対しては検田使による確認を省略できる慣例が存在したにも関わらず、国衙が臨時雑役賦課のための公田の有無確認を名目として検田使の立入を行おうとして、これに反発した荘園側が旧来の慣例確認のために不入の権を求めるなど、不入の権と不輸の権は本来別個に存在する権利であった。 不輸が認められるには、個々の田地ごとに申請を必要としていたが、出作が盛んになるとともに不輸地の一部に含めようとする荘園側とこれを阻止しようとする国司側の間で紛争が生じるようになった。また、一国平均役の導入や荘園整理令の対象地の確定を巡って不輸と認定された田地においても国衙の介入が行われるようになった。そのため、荘園側は不入の宣旨を得て国衙からの介入の排除を図るようになった。更に検非違使が徴税に関する業務を行うことがあったことから、検非違使の不入を求める動きも現れ、結果的には検非違使本来の業務である警察権の排除にも発展するようになった。不入の権による警察権排除の動きは、検断権が幕府に移った後でも「守護不入」の形で主張・権利化され、戦国大名による荘園制度解体まで続くことになった。
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