下郡信号場
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下郡信号場 | |
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![]() 豊肥本線の列車内から見た構内 | |
しもごおり Shimogōri | |
所在地 | 大分県大分市大字下郡 |
所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
電報略号 | シコ |
駅構造 | 地上 |
開業年月日 | 1967年(昭和42年)8月13日*[1] |
乗入路線 | |
所属路線 | ■日豊本線 |
キロ程 | 135.1 km(小倉起点) |
◄大分 (2.2 km) (1.1 km) 牧► | |
所属路線 | ■豊肥本線 |
キロ程 | 2.2 km(大分起点) |
◄滝尾 (2.9 km) (2.2 km) 大分► | |
下郡信号場(しもごおりしんごうじょう)は、大分県大分市大字下郡にある、九州旅客鉄道(JR九州)日豊本線・豊肥本線の信号場である。
歴史
- 1914年(大正3年)4月1日:豊州本線・犬飼軽便線開業に伴い両線の分岐点に下郡連絡所開設[1]。
- 1922年(大正11年)
- 1928年(昭和3年)12月2日:犬飼線が豊肥本線に改称。
- 1932年(昭和7年)12月6日:豊州本線が日豊本線に改称。
- 1963年(昭和38年)3月20日:大分 - 下郡信号場間での日豊本線・豊肥本線の線路分離に伴い、初代信号場廃止[1]。
- 1967年(昭和42年)8月13日:大分電車区(当時)への分岐点として初代と同場所に信号場開設(2代目)[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により九州旅客鉄道に継承[1]。
- 2006年(平成18年)3月18日:大分駅周辺高架化工事の進捗に伴い、日豊本線の大分駅 - 大分車両センター間に信号場を設置。
- 2014年(平成26年)3月15日:大分駅周辺高架化工事の進捗に伴い、日豊本線の大分駅 - 牧駅間に新線を設置。この日を境に日豊本線への分岐および日豊本線からの車両センター入場ができなくなる。
構造
大分駅より鹿児島方約2.2 kmの地点にあり、大分鉄道事業部大分車両センターでの列車回送(入出庫)のために設置されている。単純な単線分岐型の信号場であるため、列車の交換・待避はできない。
鹿児島方より大分車両センターからの入出庫線が、日豊本線に属する回送線(運転士時刻表上では「中通路線」と呼称)および豊肥本線に合流する。この回送線は2014年3月14日までは日豊本線の本線であったが、日豊本線の貨客用新線を大分駅 - 牧駅間に設置し、それまでの本線線路を回送線とした。そのため、大分駅と当信号場間は3本の線路が単線並立の形で設置されている。またこれに伴い、日豊本線の本線から大分車両センターへの入出場はできなくなった。
豊肥本線の閉塞方式は当信号場を境にして変わり、大分方面が自動閉塞式(単線)、熊本方面が特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)となる。
周辺
隣の施設
脚注
関連項目
固有名詞の分類
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