三高の設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 15:54 UTC 版)
「第三高等学校 (旧制)」の記事における「三高の設立」の解説
1894年(明治27年)6月23日、第三高等中学校は高等学校令に基づき第三高等学校に改組される。第三高等学校には大学予科が置かれず、専門学部(法学部・医学部、新設の工学部)のみを置く学校として発足した。しかし、これに伴って従来の高等中学校の本科・予科は共に解散されることになり、学生たちは「分袂式」を開いて京都を去ることとなった。折田も学生の離散をのちに痛恨事として記している。「第三高等中学校解散記念碑」が京都大学吉田キャンパスに現存している。 三高が専門学部のみの学校として発足したことは将来の大学への昇格ないし拡張を視野に入れたためであるが、この方針はのちに転換され、三高と別個に京都帝国大学が新設されることになる。1897年(明治30年)4月、三高は大学予科を設置、専門学部のうち法学部・工学部は新規募集を停止して廃絶の方針がとられ、大学予備教育機関となる。 1897年(明治30年)6月、京都帝国大学が設立される。第三高等学校は京都帝大に校舎と設備を譲り、南側の隣接地域(二本松、現:京都大学吉田南構内)を京都府から寄贈されて校舎を新設した。 1901年(明治34年)に岡山の医学部は独立して岡山医学専門学校(現:岡山大学医学部)となった。
※この「三高の設立」の解説は、「第三高等学校 (旧制)」の解説の一部です。
「三高の設立」を含む「第三高等学校 (旧制)」の記事については、「第三高等学校 (旧制)」の概要を参照ください。
- 三高の設立のページへのリンク