三重県知事選挙出馬・落選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 14:16 UTC 版)
「村尾信尚」の記事における「三重県知事選挙出馬・落選」の解説
村尾は、大蔵省のキャリア官僚であった1995年から3年間、三重県に総務部長として出向した。当時、三重県知事に就任したばかりの北川正恭知事の改革路線に事務方の先頭に立って辣腕をふるったと言われている。その後、財務省に戻り環境省総合政策局総務課長等を務めていたが、2002年に北川正恭知事が3期目の知事選への不出馬を表明すると、水面下で民主党関係者から出馬の打診があり、同年12月25日に退職し、三重県知事選挙への出馬を表明した。出馬の経緯から、北川の後継候補として民主党などからの推薦や支援等を得ながら選挙戦を展開するものと見られていたが、「既成政党からの推薦を一切受けない」と村尾本人が表明したことで既成政党からの不満が続出した。また、三重県総務部長在職中に行った急進改革路線に不満を抱いていた県職員労働組合や教職員組合が支援に難色を示し、連合三重等が当時松阪市長を務めていた野呂昭彦に出馬を打診した。当初は支援すると見られていた三重県選出の岡田克也や中川正春等の国会議員等もこれらの動きから支援を断念し、北川知事も表面だっての支援を行わなかった。 選挙戦では一部の三重県議等からの支援はあったものの、既存の政治団体等からの大きな支援はなくボランティアを中心に選挙戦を展開した。また、従来から親交のあった財部誠一・榊原英資・神津カンナ・福岡政行・堂本暁子・浅野史郎・松島みどり等が応援に入った。
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