三重県移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 17:01 UTC 版)
1887年(明治20年)三重県3郡長土居光華の招きで松阪に移った。1888年(明治21年)三重県令石井邦猷の勧めにより、第一銀行四日市支店長八巻道成の補助を受けて宮川運河を開削し、琵琶懸・釜ヶ口等を削って大杉谷に道を通し。木材の川流しを請け負って通河銭を徴収する商法で成功を納めた。1890年(明治23年)飯野郡漕代村伊勢場祓川に木挽水車場を設け、第3回内国勧業博覧会に茶櫃材を出品し、有功三等賞を受賞した。1893年(明治26年)には宮川から山田市街に灌漑水路を通す事業を企画したが、実行には至らなかった。 1901年(明治34年)以前、病気のため事業を子の超に譲り、中島町久留山威勝寺跡に隠居し、庭園を設けて来山山荘幹松庵と号した。
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