三部作の「解体」
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「三部作 (プッチーニ)」の記事における「三部作の「解体」」の解説
プッチーニ自身は『アンジェリカ』を「三部作」中でも珠玉の作とみなし偏愛していたとされているが、皮肉なことに同作がもっとも早く、演奏されなくなる運命にあった。1920年6月からのロンドン・コヴェント・ガーデン劇場での「三部作」英国初演では、2夜目から『アンジェリカ』が落とされ『外套』・『スキッキ』のみの演奏となった。プッチーニは強硬に抗議したが無駄であった。 こうして「三部作」の解体が始まり、各作品はそれぞれ単独で、あるいは他作曲家の短幕物オペラ、例えば『カヴァレリア・ルスティカーナ』、『道化師』といったヴェリズモ・オペラ、あるいはリヒャルト・シュトラウス『サロメ』、あるいはバレエなどとの組合せでの上演が増えることとなった。女声のみで成る『アンジェリカ』はこの場合やはり不利で、演奏機会は他の2作に比べて格段に少ない。 作曲者プッチーニの意図通りの「三部作」が受け入れられなくなった理由としては、『アンジェリカ』が「弱い」と考えられたためばかりでなく、3つのオペラ(それぞれ約50分)を上演し、舞台転換をすることを考えると終演までには4時間以上を要する(これはプッチーニの他作品すべてよりも、またヴェルディの殆どの作品よりも長い)こと、プリマ・ドンナ級ソプラノはどうしても2人を要するので、上演コストが高くつくこと、といった実際的な事情も大きかったと考えられる。更にバンダなどの楽器編成がオルガンやピアノ2台などを含み大きすぎるのも原因の一つである。最近はミュンヘンのゲルトナープラッツ・オペラのように3部作に戻しての演奏例もある。ヨーロッパの学生オペラでは「ジャンニ・スキッキ」だけを取り出してヘンツェの1幕物のオペラなどと組み合わせてよく上演され、オペラ科学生の登竜門となっている。 そして、細かいことのようだがここでもリコルディ社の巧みなビジネス戦略が感じられる。というのは、出版された楽譜ではどこにも「三部作 (Il trittico )」の字はないし、上演は組合せで行うべしとの指示も存在しない、あくまで3つの個別作品との扱いとなっているのである。「三部作」総体でひとつの芸術的まとまりをもつものと考えていたプッチーニにとってこの処置は不満があったようだが、各作の個別上演を可能にすることで延べ上演回数は増加し、結果としてリコルディ社(ひいてはプッチーニ自身)の収益は増大したのである。最近ではドーヴァー出版のスコアのように3部全体をまとめた楽譜も販売されている。
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