三田循司と戸石泰一
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「散華 (小説)」の記事における「三田循司と戸石泰一」の解説
本作品に登場する三田循司と戸石泰一が初めて太宰の家を訪ねたのは1940年(昭和15年)12月13日。三田と戸石らはその頃『芥』という同時雑誌を作っていた(1940年3月~1941年3月)。 1942年(昭和17年)2月1日、三田は盛岡の歩兵百五連隊に入営。戸石は同年9月25日、大学を半年繰り上げて卒業、10月1日に仙台の第二師団歩兵第四連隊に入営し、陸軍予備士官学校へ進んでいる。10月26日、三田は北海守備隊に転属を命じられる。 1943年(昭和18年)5月29日、アッツ島の日本守備隊山﨑部隊が全滅。8月29日、新聞で三田の戦死を知った戸石が太宰にその旨を手紙で知らせる。 1944年(昭和19年)1月9日、太宰は、陸軍予備士官学校を卒業し南方軍総司令部に送られて行く戸石と上野で会う。 1946年(昭和21年)9月、戸石は河北新報社に入社。
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