一本松珠璣とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 一本松珠璣の意味・解説 

一本松珠璣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/17 14:57 UTC 版)

一本松 珠璣(いっぽんまつ たまき、1901年4月29日 - 1985年1月24日)は日本の実業家電気工学者。元日本原子力発電社長、同最高顧問。従三位勲一等工学博士。日本の原子力発電事業の草分け的存在。

経歴

広島県佐伯郡能美村(現:広島県江田島市能美町)出身。1924年京都帝国大学工学部電気工学科卒。大阪市電気局(現:大阪市交通局)を経て関西配電(現:関西電力)入社。1942年同社企画課長を経て取締役神戸支店長。1945年「大都市電力系統計画論」で工学博士1947年常務、1950年アメリカ視察で渡米。1956年石川一郎原子力委員団長らと副団長として第1回の訪英調査団派遣に参加。世界最初の実用規模の原子力発電所・コールダホール型原子力発電所を視察、またアメリカの状況も視察した。1957年日本原子力発電株式会社発足で副社長に就任、1962年社長に就任。1966年、日本最初の原子力発電である茨城県東海原子力発電所の東海1号を英国から導入するなど、1977年会長、1981年最高顧問として長きに渡り日本の原子力発電の発展に大きな功績を残した[1][2]1954年関西経済同友会代表幹事。この他、電気学会会長、原子力学会会長、原子力委員会参与などを歴任した。

1958年以降は毎年渡英、1977年には名誉大英勲章第三位を贈られ、1978年には米国工学アカデミー会員。1959年藍綬褒章1971年勲二等旭日重光章1985年従三位勲一等瑞宝章

1971年の著書『東海原子力発電所物語』は、日本初の原発建設時の苦労と反省が書かれた先人の貴重な資料である[3]

著書

  • 『動力燃料総合計画論』電気書院、1948年
  • 『東海原子力発電所物語』東洋経済新報社、1971年

親族

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

先代
安川第五郎
日本原子力発電社長
第2代:1962年 - 1970年
次代
白澤富一郎
先代
原吉平
六代目武田長兵衛
関西経済同友会代表幹事
弘世現と共同
第9期:1954年 - 1955年
次代
栗本順三
石田劥
先代
古賀逸策
電気学会会長
第44代:1958年 - 1959年
次代
渡辺寧
先代
瀬藤象二
日本原子力学会会長
第4代:1965年 - 1967年
次代
大山松次郎



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  一本松珠璣のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「一本松珠璣」の関連用語

一本松珠璣のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



一本松珠璣のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの一本松珠璣 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS