ンドランゲタと市政
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:07 UTC 版)
「レッジョ・ディ・カラブリア」の記事における「ンドランゲタと市政」の解説
1970年代から1980年代末までの20年間、レッジョ・カラブリアは都市の衰退を背景として、ンドランゲタによる組織犯罪の増加という問題を抱えた。レッジョ・カラブリアは、流血の抗争を繰り広げた複数のファミリー(「ンドリーナ」と呼ばれる)の拠点である。ンドランゲタは店舗や企業から「ピッツォ」 (Pizzo (extortion)) と呼ばれる「保護費」(みかじめ料)を徴収しており、小売業の「営業許可」に関しては市議会よりも影響力を持っているとされる。 汚職のスパイラルは1990年代初頭に頂点に達した。当時の市長 Agatino Licandro は「カネを詰めて市庁舎に持ち込んだスーツケースがカラになって出ていく」という告白をした。全国的に広がった政治スキャンダル(タンジェントポリ)の中で、市議会議員のほとんどが逮捕された。1990年代初頭以降、住民と行政の協力によって都市を回復・刷新しようとする「レッジョの春(Primavera di Reggio)」と呼ばれる運動がすすめられた。都市の中央にある海沿いの地区では、ンドランゲタの利権や犯罪の温床となっていた違法建築や営業を排除して開かれた大通りがつくられた。「レッジョの春」のシンボルとされるこの大通りは、運動を方向付けた Italo Falcomatà 市長(在任: 1993年 - 2001年)にちなんで Lungomare Falcomatà と命名されている。 2012年10月9日、イタリア政府はンドランゲタの浸透を理由としてレッジョ・カラブリア市議会の解散を決定した。 2002年から2010年にかけての Giuseppe Scopelliti 市長のもとで、議員が有力犯罪組織とつながりを持った疑惑が生じたためで、Demetrio Arena 市長と30人の市議会議員全員が、地方政府に対すれる「マフィアの感染」を防ぐためとして解任された。県庁が所在する都市の地方政府に対し、犯罪組織とのつながりの疑いで解体措置が出されるのははじめてのことである。
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