ンドンゴの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 08:37 UTC 版)
コンゴ王国の属国だったンドンゴは、1518年にコンゴからの独立を間接的に認識してもらうため宣教師を求めポルトガルに使節を送る。1520年に宣教師は到着したが、現地の紛争やコンゴの圧力により撤退を余儀なくされた。コンゴの国王 (マニ・コンゴ)だったンジンガ・ムベンバ (アフォンソ1世)は宣教師をコンゴへ連れて行き、ンドンゴには自身の司祭を残した。初期のンドンゴは農業や塩の貿易が盛んだったがこの頃からンドンゴはポルトガル人と奴隷貿易を始める。ルアンダに設置された商館からポルトガルがサトウキビ栽培で栄えたサントメとの奴隷貿易を行い、ンドンゴはポルトガルとの奴隷貿易で力をつける。
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