ワルツの歴史とは? わかりやすく解説

ワルツの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/17 08:58 UTC 版)

ワルツ (ダンス)」の記事における「ワルツの歴史」の解説

西オーストリア南ドイツハプスブルク帝国起源で、13世紀頃から今日チロル州バイエルン州農民踊っていたヴェラー(Weller)というダンスから成立した。(言葉自体フランス起源という説もある)。 ヴェラーは、ゲルマン文化初の男女が体を接して共に回るダンスであったが、汚らわしいという理由からハプスブルク帝国時代長年渡って法律的に禁止されていた。しかし監視の目が届かないアルプス渓谷の奥では、厳しい生活の中、ヴェラーは農民数少ない娯楽であった。このヴェラーが16世紀入ってからインスブルックなどの都市に住む住民にも伝わり渓谷に住む農民のみではなく、各町村住民も踊るようになる。しかし都市住民当時農民躍ってたような激し動き好まず優雅さ好んだことから、ヴェラーを段々と上品化していき、ヴァラー、そしてワルツ発展していく。あまりの人気のため、ハプスブルク帝国法律の改正余儀なくされ、当初チロル州でのみ、最終的にオーストリア、そしてハプスブルク帝国全体解禁される18世紀にはインスブルックウィーンホーフブルク王宮でも踊られるようになり、正式にハプスブルク宮廷文化取り入れられるうになるこの段階でヴェラーから別の発展成し遂げて有名になったのがレントラーである。また今日も「チロル夕べ」などで踊られているチロリアンダンスでもヴェラーのステップ歴史面影として見られる国際的な場に初めワルツ登場したのは1814年、「会議は踊る、されど進まず」で有名なウィーン会議でのことで、これを機にウィンナ・ワルツとして世界中広まった現代では、3拍子楽曲(例:知床旅情人生劇場王将テンポの遅い6/8拍子(例:北上夜曲琵琶湖周航の歌、あざみの歌)なども含む場合がある)について、「ワルツ曲」や歌謡曲ならば「ワルツ歌謡」と称したり、「ワルツ」の名前を付ける(例:水色のワルツ星影のワルツ月のワルツ)こともある。

※この「ワルツの歴史」の解説は、「ワルツ (ダンス)」の解説の一部です。
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