ロワール作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/12 02:58 UTC 版)
イングランド軍は撤退する際にロワール川に架かる橋を破壊していったため、フランス軍は渡河地点を確保する必要があった。オルレアン解放後の約1か月間、フランス軍は兵を募り、軍を増強して次の作戦行動に備えると、6月上旬に開かれた王太子の御前会議でロワール渓谷一帯を奪還することが決まった。一度オルレアンを離れていたジャンヌが6月9日に再合流すると、その旗の下に集った市民らの志願兵でフランス軍はふくれあがり、同日フランス軍はロワール地方奪還の軍事行動(英語版)を開始した。 フランス軍の最初の目標となったジャルジョーは、オルレアンの東約20キロメートルにあるロワール川南岸の小さな町で、数年前にイングランド軍が占領し南フランス侵攻の拠点としていた。町は城壁といくつもの塔に囲まれ、門には厳重な防備が施された上に堀で囲まれており、その外側に町ができていた。町からロワール川には一つだけ要塞化された橋がかかり、町はサフォーク伯ウィリアム・ド・ラ・ポール率いる700人のイングランド兵に守られていた。また、城壁にはいくつもの火砲が配備されていた。 アランソン公ジャン2世とジャンヌが率いるフランス軍には、「オルレアンの私生児」ジャン・ド・デュノワ、ジル・ド・レ、ジャン・ポトン・ド・ザントライユ、「憤怒」ラ・イルら、後にジャンヌの戦友となる指揮官たちが加わっていた。騎士ジョン・ファストルフ率いるイングランドの援軍数千が8日にパリを出発し、ロワール地方に向かっているという情報があり、諸将の間にはジャルジョー攻撃に慎重な意見もあったが、ジャンヌは主戦論を展開。「神のお導きがあると信じていなければ、このように戦場で身を危険にさらすことなどせずに羊飼いをしております」と訴えて隊長らを説得し、攻撃が決まった。
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