ロシア史と不凍港
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 02:57 UTC 版)
「ロシアの歴史」および「南下政策」も参照 不凍港は、ロシア史に関連して言及されることの多い用語である。18世紀以降海洋進出に乗り出したロシアは広大な面積を有するものの国土の大部分が高緯度に位置し、黒海・日本海沿岸やムルマンスク地区、カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)等を除き、冬季には多くの港湾が結氷する。そのため、政治経済上ないし軍事戦略上、不凍港の獲得が国家的な宿願の一つとなっており、歴史的には幾度となく南下政策を推進してきた。 ロシアの北に寄った国土は、冬が長く、寒冷・多雪などといった現象をもたらし、一部を除けば農業生産は必ずしも高くない。ここでは高い密度の人口を支えることが困難であり、人々はよりよい環境を求めて未開発の周辺地域に移ろうと努める。中でもより温暖な南方の土地を求める願望には根深いものがある。その他にロシア人は概して政治的権力による統制を極度に嫌うアナーキーな傾向を持ち、このようなロシア人気質はこうした膨張主義を助長しているといわれる。人々は国家からの介入を嫌い、辺境へ、権力の外側へと向かおうとするのであるが、権力の側もむしろこれを利用して、人々が苦労して入植して開墾した土地に後から追いつき、その政治力・軍事力を用いて労せず入手するということが繰り返されてきた。これは、第三者からみれば、官民一体の南進運動であるかのように映るのであり、それゆえ周囲に強い警戒感を招いたのである。
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