ロシアでの用法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 04:33 UTC 版)
「ミャステチコ (行政区画)」の記事における「ロシアでの用法」の解説
注)ロシア語: Местечкоに従い、本節ではメステチコの表記を用いる。 ロシアにおいては、帝政ロシア期にポーランド分割によって、ポーランド・リトアニア共和国領を接収したことで、メステチコを国内に含有するようになった。19世紀にはメステチコは法的にも正式な行政区画名として使用された。メステチコの住人は中産階級(メシチャンストヴォ(ru))とみなされており、1866年には人頭税を免除され、代わりに不動産税を課されるようになった。これは都市民、ポサード民と同様の扱いだった。 また、1882年にはユダヤ人がセロやデレヴニャ(行政区画・居住区の一形態。村落。)で不動産の賃貸を禁止する法令を出し、メステチコにおいてのみ許可した。ただしこの法令は後に緩和され、1903年には101のセロで禁止が解かれた。また、その後も禁止解除の対象となるセロは増加した。 現ロシアにおいては、ごくわずかであるが行政区画としてメステチコに分類される地域がある。これらのメステチコは基本的にポショーロクより規模が小さい。例えばレニングラード州では2008年の段階で14のメステチコが、モスクワ州では2006年の段階で7のメステチコが存在している。
※この「ロシアでの用法」の解説は、「ミャステチコ (行政区画)」の解説の一部です。
「ロシアでの用法」を含む「ミャステチコ (行政区画)」の記事については、「ミャステチコ (行政区画)」の概要を参照ください。
- ロシアでの用法のページへのリンク