ロイヤリスト民兵の徴兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/18 14:02 UTC 版)
「サンピエールの戦い」の記事における「ロイヤリスト民兵の徴兵」の解説
1776年3月14日総長、サンバリエ出身のカナダ人民兵ジャン=バティスト・シャッソンがカヌーでセントローレンス川を渡り、ケベック市に到着した。シャッソンは、大陸軍がケベック市からは川を挟んで南岸のポワンレビに砲台を据えているという情報をカールトンに伝えた。この砲台はケベック市の港や川の船舶を睨むことになるものだった。シャッソンはまたケベック市の南に住む人々は大陸軍に対抗して立ち上がる用意があるともカールトンに伝えた。 カールトンは、セントローレンス川に浮かぶ島のイル・オ・グリュー(クレーン島)の領主であり、フレンチ・インディアン戦争で軍隊の経験があったルイ・リエナール・ド・ボージューに伝える指示をシャッソンに与えた。その指示には、包囲を行っているアーノルド陣営の困難な状態を伝える伝言を横取りしたこと、以前はアメリカ側を支持したとしても現在は進んでイギリス側を助ける者には恩赦を与えることが含まれていた。ボージューは以前にイギリスを支援する民兵隊を立ち上げるよう求められたことがあり、ポワンレビの未完成の砲台を攻撃する部隊を立ち上げるところだった。3月23日までにボージューはサンタン・ド・ラ・ポカティエールで100名以上を集めた。この部隊が3月24日の夜にサントーマスに到着したとき、他に70名のものが合流した。この部隊の前衛として46名がクーイラードとガスペーの指揮でサンピエールに派遣され、そこではロイヤリストで地元民兵隊の元指揮官であるミシェル・ブレイの家を基地にした。
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