レース人生の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:56 UTC 版)
「ジャンカルロ・ミナルディ」の記事における「レース人生の始まり」の解説
1968年、21歳の時にレース用にチューンされたフィアット500を購入し、数々のヒルクライムレースにおいて好成績を収めた。ミナルディは、レーシングチームのスクーデリア・デル・パッサトーレを率いるかたわら、フィアット124でラリーへの参戦を開始した。1972年から1974年にかけてスクーデリア・デル・パッサトーレはフォーミュラ・イタリアで好成績を残し、ジャンカルロ・マルティニが1972年は選手権2位、1973年は選手権を制した。 1974年にチーム名をスクーデリア・エベレストに改名し、以後ヨーロッパF2選手権に、マーチのシャシーとBMWエンジンで参戦した。 スクーデリア・エベレストは1976年にフェラーリと契約し、フェラーリ・312Tを貸与された。これは才能あるイタリア人にF1経験を積ませることを目的としていた。この車両は、ジャンカルロ・マルティニのドライブで1976年に行われたF1の非選手権レース2戦に参戦した。また、1977年からはF2のエンジンもフェラーリから供給を受けた。 1980年、イタリアにおいてモーターレースのパトロンとして有名な人物であるピエロ・マンシーニの資金援助を受け、ミナルディはミナルディ・レーシング・チームを設立した。このチームを率いて4年に渡ってF2選手権に出場を続け、上々の成績をあげた。
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