レイ・ズール戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:50 UTC 版)
「ヒクソン・グレイシー」の記事における「レイ・ズール戦」の解説
プロとしての初試合は、ルタ・リーブリの選手、レイ・ズール(PRIDEに参戦したズールの父)との試合であり、試合は2度行われている(2回目の試合がビデオGRACIE IN ACTIONに収められている)。1回目は1980年4月25日、ブラジリア市内の体育館で観客も少ない中で行われた。当時ヒクソン20歳。弟ホイラー(当時11歳)の証言によると、父エリオはホーウスに出場させたかったが、ホーウス自身が「もしズールが勝ったら私が次に出るが、彼はヒクソンに勝てない」と言い、ヒクソンに譲った。 当時のズールは身長192cm、体重104kg、年齢35歳。 試合は10分3ラウンド。開始早々ズールがヒクソンの腰をめがけて進んできたところを、ヒクソンは膝蹴り。これでズールは歯を2本折るがひるむことなく攻める。その後ヒクソンはズールにリング外に3度投げ出されながらも、2ラウンド目の2分経過時に裸絞めで勝利した。 ヒクソンは「この試合が今までで一番タフな試合だった」と語る。試合後ズールはヒクソンに近づき勝利を称えつつ「君には父親やホーウスという助けがある。しかし自分はそうではなく自分だけでここまできた」と述べたという。ヒクソンはこれを受けて「ズールがいかに特異な選手であったか、そして家族や神にどれだけ感謝しなければいけないか、この言葉によって気づいた」と述べている(GRACIE MAGAZINE参照)。
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