ルーン学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:57 UTC 版)
1619年から、当時未開拓だったルーン文字の研究を始めた。そのきっかけとして、医師としてデンマーク各地を巡回した際にルーン石碑に関心を持ったことや、外国の学者にデンマークの古事物について知らせようとしたこと等があった。 1622年には、ヴォームの働きかけにより、国内の遺物保護を命じる勅令が下された。1623年には、ルーン文字の言語(古ノルド語)とアイスランド語の類似に気付いたのをきっかけに、アルングリーム・ヨーンスソン(英語版)らアイスランドの学者と文通するようになり、『スノッリのエッダ』等が書かれたアイスランド語の写本(ヴォーム写本)を贈られた。 ヴォームはルーン学を始めてから晩年まで、スウェーデンのルーン学者ヨーハン・ブーレ(英語版)といがみ合っており、互いに侮辱や著作の無視をしていた。その背景として、ルーン学の開拓者という名誉が懸かっていたこと、デンマークとスウェーデンの国家間の対立もあったこと、ブーレが所属する薔薇十字団を大学の競合相手としてヴォームが嫌っていたこと等があった。ただし晩年には、そのようないがみ合いを反省していた。 主なルーン学の著作として、14世紀に書かれたルーン暦(英語版)の写本を扱った『コンプトゥス・ルニクス(英語版)』や『デンマーク年代記』(Fasti Danici)、ルーン文字の解釈を開拓して広く読まれた『ルーン文字 デンマーク最古の文芸』(Runir seu Danica literatura antiquissima)、ルーン石碑や黄金の角の写生画をまとめた『デンマークの古遺物に関する六書』(Danicorum monumentorum libri sex)がある。
※この「ルーン学」の解説は、「オーレ・ヴォーム」の解説の一部です。
「ルーン学」を含む「オーレ・ヴォーム」の記事については、「オーレ・ヴォーム」の概要を参照ください。
- ルーン学のページへのリンク