リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの死
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1972年にスイス国境付近のオーストリア国内にある村落シュルンスで死去。表向きの死因は脳卒中である。彼の秘書ダッシュ女史によると、彼は自殺したという。彼が偉大であったため、人々を失望させないように彼の自殺は隠蔽されたようである。彼はオーストリアで死にたがっていた。彼が死ぬまで代わることのなかったパン・ヨーロッパ連合のトップの座はオットー・フォン・ハプスブルク公が継承した。 リヒャルトの墓は、ゲシュタードのグルーベン地区、晩年を暮らした山荘を見下ろす場所にある。シュミット村木眞寿美の呼びかけで日本の造園家が墓の整備に協力。傍らには石塔と、妻イダの棺を納めた小屋がある。日本庭園の枯山水様式の石庭で、野生ブドウに覆われて、慎ましいたたずまいである。彼が墓の碑文に偉大な称号を欲しなかったらしいことが伺われ、碑文はフランス語で「Pionnier des États-Unis d'Europe」(ヨーロッパ合衆国のパイオニア)だけである。
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