リスボン遠征とは? わかりやすく解説

リスボン遠征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 06:55 UTC 版)

ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯)」の記事における「リスボン遠征」の解説

1588年7月アルマダの海戦イングランドの勝利終わったが、スペイン無敵艦隊北海撤退しその後情報がなかった。女王1589年初頭にも無敵艦隊壊滅作戦開始したが、出撃するフランシス・ドレークやジョン・ノウルズ(英語版)らがポルトガル沖でのスペイン略奪希望したので結局この作戦スペイン領ポルトガルへの遠征作戦化したエセックス伯戦利品借金返済充てる目論みでドレーク遠征への参加希望し1589年4月女王勅許得ず宮廷から姿を消したかと思うとプリマス港からサー・ロジャー・ウィリアムズ(英語版)の指揮する女王旗艦スウィフトシュア搭乗して出航した。 同艦隊リスボン沖でドレーク艦隊合流その後二手分かれエセックス伯6000の兵を率いて陸路リスボン向かった。しかし重い装備暑さで軍は消耗しリスボン到着したころには疲労しきっていた。しかもタグス川を上ってくるはずのドレーク艦隊到着遅れてなかなか姿を見せなかった。リスボン攻略絶望視したエセックス伯苦し紛れに、馬に乗ってリスボン城門前に行くと、そこに突き立てて門の向こうスペイン軍向かって女王御名において一騎討ち申し出る挑む勇者はいないか」と叫んだが、スペイン軍からの返事はなく相手にされなかった。 結局遠征隊は撤収することになった帰途6月末に商船隊襲ってその積み荷3ポンド略奪し、各司令官山分けしたが、戦果これだけだった。そして帰国後に遠征隊は女王から叱責された。

※この「リスボン遠征」の解説は、「ロバート・デヴァルー (第2代エセックス伯)」の解説の一部です。
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