リコール騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:05 UTC 版)
伊藤は、2006年市長選で大崎市民病院本院を現在地で建て替えると公約し当選した。しかし、拡張に必要な周辺用地の一部が地権者の反対で買収できず、事業費も予定額を大幅に上回る見通しとなり、さらに勤務する医師たちから約2キロ離れた古川穂波地区の市有地へ移転新築するよう求める要望書が提出されたため、政治判断で古川穂波地区への移転を決め、市議会も移転事業費を賛成多数で可決した。村井知事も県議会で移転賛成を表明した。 これに対し、病院に移転されると不便になる病院付近の市民、商売に影響が出て困る商店経営者や駐車場の持ち主、伊藤に批判的な立場の共産党員等が「伊藤は公約違反だ」「穂波地区は地盤が軟弱」などと主張して市民グループを組織し、2009年11~12月にリコールの署名活動をしたが、必要な有権者3分の1(約37100人)が集まらずリコール不成立となった。住民グループは署名が32384人分集まったと発表したが、市選管の精査を受けておらず、マスコミにも署名簿を公表していないため、人数を水増し発表した可能性があると言われた。 2010年の市長選は、病院移転を阻止したい市民グループが伊藤に対抗する候補者擁立を模索したが、途中で内部分裂し、グループ離脱組は前回も立候補した本間俊太郎、グループ残留組は支持協定を結んだ佐藤仁一を擁立した。その結果、病院の移転新築を公約した伊藤が、リコールで集まったとされた署名を上回る34404票を獲得し、病院の現在地建て替えを公約した本間と佐藤を破って再選され、病院移転が信任される結果となった。 ちなみに、移転反対派は前述の通り「穂波地区は地盤が軟弱」と主張していたが、2011年の東日本大震災では現病院で液状化や地盤沈下がみられたのに対し、移転予定地で同様の被害はみられなかった。
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