ラビア・カーディルの逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 19:31 UTC 版)
「東トルキスタン独立運動」の記事における「ラビア・カーディルの逮捕」の解説
1999年には全国政治協商会議の場で中国政府の民族政策を批判した実業家のラビア・カーディルが国家機密漏洩罪で逮捕、投獄された。ラビアは新疆におけるウイグル人の人権状況改善を党・政府に対して積極的に訴えていた共産党員であり、1996年の政治協商会議では、漢民族によるウイグル人抑圧を非難する演説を行っていた。公安当局は、ラビアの夫シディク・ハジ・ロウジによる翻訳(グレイヴァー「中ソ関係」)とともにラビアの演説を問題視し、ラビアは1997年に全ての公的役職から解任された。1999年8月13日、公安当局は、ウルムチ市内に滞在していた米国議会関係者に接触しようとしたラビアを逮捕し、米国に亡命した夫に対して「不法に機密情報を漏洩した」として懲役8年の実刑判決を下した。 ラビアの逮捕は、中国内外のウイグル人社会に大きな衝撃を与え、国外のウイグル人を中心に、中国政府にラビアの釈放と、ウイグル人への人権侵害の停止を要求する運動が展開された。こうした運動は、欧米社会の関心を集め、アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権団体による支援も行われるようになった。
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