ラディカルズからシングル路線まで
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「エディ・ゲレロ」の記事における「ラディカルズからシングル路線まで」の解説
2000年にベノワ、マレンコ、ペリー・サターンとWWF(後のWWE)へ移籍、4人でラディカルズなるユニットを結成。早速レッスルマニア2000でトゥー・クール (グランマスタ・セクシー&スコッティ・2・ホッティ)&チャイナと試合をするが敗れてしまう。これを機にチャイナとの熱愛メロドラマを展開、人気を博す。チャイナに積極的にアピールするという役割で、チャイナが『PLAYBOY』誌に登場する際には撮影現場に行ったエディが警備員にたたき出される光景を監視カメラの映像から流した。当時何でも有りだったWWFを象徴する光景の一つであり、2003年に行われたRaw10周年特番でも「黙ってキスして賞」の一つにノミネートされていた。WWFにおける初タイトルはジェリコから奪取したヨーロピアン王座であるが、これはチャイナの手助けのおかげであった。その後はマレンコやサターンとの王座を巡る内輪もめを演じることとなり、サターンに王座を奪われる。結局はエディの浮気が原因で振られてしまう。2000年9月にIC王座を手に入れるが、相手は皮肉にもチャイナであった。その後はD-ジェネレーションX(ロード・ドッグやビリー・ガンを中心とする)との軍団抗争を展開、サバイバー・シリーズ2000で勝利する。その後ハーディー・ボーイズとの抗争(この時期にベノワはシングル路線に専念のため離脱している)を開始。 2001年に入りジェリコの持つインターコンチネンタル王座をめぐる争いがベノワ、Xパックとの四人の間で行われる。その後はレッスルマニアX-Sevenにおいてテストとヨーロピアン王座をかけて勝負、勝利する。ハーディー・ボーイズとの抗争も再燃するなどしていたが、プリンス・アルバートとの試合で怪我を負う。
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