ライヒスヴァルト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/05 03:37 UTC 版)
「アルフレート・シュレム」の記事における「ライヒスヴァルト」の解説
シュレムは第III降下猟兵軍団の指揮官となったが、この編成は実働部隊とはならなかった。その代りに彼はオランダの西部戦線でクルト・シュトゥデント上級大将が務めていた第1降下猟兵軍の最高司令官の地位を引き継いだ。第1降下猟兵軍はカナダ第1軍(Canadian First Army)に対抗してライヒスヴァルト(Reichswald)を防衛することを任された。シュレムの兵員達は寄せ集めではあったが戦力不足の歩兵部隊を効果的に集めており、彼らは「西の壁(ジークフリート線)」に塹壕を掘り巡らした。シュレムは、次の連合国軍の攻勢はもっと南で起こるであろうという現状分析には懐疑的であり、部下達に鉄壁の守りを構築させた。 カナダ第1軍とウィリアム・シンプソンズ(William H Simpson)少将のアメリカ第9軍( U.S. Ninth Army)はヴェーゼル(Wesel)対岸、ライン川の西堤の小さな橋頭堡にシュレムの部隊を追い込んだ。1945年3月10日に第1降下猟兵軍の後衛部隊は背後の橋を破壊し橋頭堡から撤退した。シュレムは必然的に渡河して来る連合国軍と対峙する覚悟を決めた。11日後にシュレムはハルテルン(Haltern)で戦闘指揮所が敵機の対地攻撃を受けたときに負傷し、第1降下猟兵軍の指揮をギュンター・ブルーメントリット(歩兵)大将に渡した。
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