ライヒェンベルク城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/04 20:21 UTC 版)
「ライヒェルスハイム (オーデンヴァルト)」の記事における「ライヒェンベルク城」の解説
現在のライヒェンベルク城館は13世紀に城塞として建設されたもので、1307年に初めて文献上に記録されている。注目すべきは領主館(パラス)である。このパラスは、平面図が屈折した構造であることから、クルンメ・バウ(Krumme Bau, 曲がった建物)と呼ばれている。 後に自然保護運動家となるクリスティアン・ゴットフリート・ダニエル・ネース・フォン・エーゼンベックは、1776年2月14日にここで生まれた。彼はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの友人で、ボン大学およびボン植物園の創始者の一人、40年間にわたってドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナの会長とブレスラウ植物園の園長を務め、1858年3月16日にブレスラウで亡くなった。 19世紀半ばまで、この城の領主は様々な貴族の間を転々とした。1876年から1924年までライヒェンベルク城は高い身分の子弟の私塾として用いられていた。その後、ジーフェルト・フォン・フローンホーフの家族がこの城を所有した。彼らは1963年にこの城をドイツ連邦郵便に保養施設として売却した。 1979年7月、キリスト教のコミュニティ Offensive Junger Christen (OJC) がライヒェンベルク城を購入した。彼らはここを、城内カフェもある、一般参加が可能な国際集会の会場に改築した。領主館など、上部の古い部分はこの時に改修された。
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