ヨルダン内戦勃発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:42 UTC 版)
「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」の記事における「ヨルダン内戦勃発」の解説
同時ハイジャック事件は解決したが、フセイン1世国王の黙認のもとヨルダンに活動拠点を置いていたにもかかわらず、王制を否定するマルクス・レーニン主義を標榜し、「社会主義革命によるパレスチナ解放」を目標と称してヨルダン国内でも反王制的な態度を取り続けた挙句、この様な事件を自国内で起こしたPLO及びPFLPに対する怒りが収まらないフセイン1世国王は、PLO及びPFLPを自国内から排除することを画策し、9月14日にヨルダン全土に戒厳令を敷いた。 9月17日にはヨルダン陸軍とベドウィン部隊を中心とした国王守備隊が首都のアンマンに進出し、事件発生以前よりアンマン市内の一部を占拠していたPLO及びPFLPへの攻撃を開始したことで、ここにヨルダン内戦が勃発した。 その後両者の戦闘はヨルダン各地に波及し、圧倒的な軍事力と国民からの支持を持つヨルダン軍に対してPLOは敗走を重ねる。しかしこれに対して、かねてからヨルダンと対立していた上に、(ソビエト連邦からの後援を受け)PLO及びPFLPに対する支援に積極的な隣国のシリアのヌーレッディーン・アル=アターシー大統領が、陸軍部隊をヨルダン領内に侵入させた(なお、かねてからPLOの姿勢に懐疑的であったシリア空軍司令官のハーフィズ・アル=アサドは、アターシー大統領の出動命令を拒否した)ことなどを受けて、ヨルダン国内は混乱状態に陥った。 この様な状況に対応して、アメリカは再び空母を中心とする艦隊を地中海のイスラエル沖に派遣し、ヨルダンとフセイン1世国王を援護する姿勢を見せるとともに、シリア(とその後援者のソビエト連邦)を牽制した。同時にイスラエルは陸軍部隊をゴラン高原に展開しシリア軍に対しての警戒を強めるとともに、シリアに対しプレッシャーを与えたが、両軍ともに戦闘を行うことは無かった。
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