同時ハイジャック事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 19:02 UTC 版)
「ライラ・カリド」の記事における「同時ハイジャック事件」の解説
1970年9月6日に、イスラエルや西ドイツ、スイスなどに捕らえられた活動家を釈放させるべくPFLPが起こしたPFLP旅客機同時ハイジャック事件の一環として、テルアビブ発アムステルダム経由ニューヨーク行きのエル・アル航空219便をハイジャックした。 しかし、同乗していた私服警備員が、カリドとともにハイジャックを行ったサンディニスタ民族解放戦線の活動家として世界的に著名なニカラグア系アメリカ人のパトリック・アルゲーロを射殺し、カリドも銃撃戦の末取り押さえたために失敗に終わった。その後同機はロンドンのヒースロー空港に着陸し、カリドはスコットランド・ヤードに引き渡された。 なお、この際にエル・アル航空機以外にも4機の航空機がハイジャックされ、そのうちの3機がヨルダン国内に強制着陸させられ300人以上の人質が捕らえられたため、PFLPは直ちにカリドも「交換釈放リスト」の一員に入れることとなった。その後、イスラエルがPFLPとの直接交渉を拒否したため、国際赤十字委員会やヨルダン、シリア、スイス、アメリカ、イギリスのみならず、ソビエト連邦まで巻き込んだ交渉が行われた結果、9月12日に、全ての乗客、乗務員が釈放された後に、各国に収監されているPFLPの活動家とカリドも釈放された。
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