ヤマピカリャー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 05:29 UTC 版)
「イリオモテヤマネコ」の記事における「ヤマピカリャー」の解説
一般には、現地でヤマピカリャーなどと呼ばれてきたネコ科動物は、イリオモテヤマネコであったと考えられている。しかし体長がイエネコの倍ほど、尾が約60センチメートルほどで、イリオモテヤマネコとは模様の違う大型のネコ科動物が現地の人によって幾度か目撃されている。この“大ヤマネコ”はヤマピッカリャー(新城島)、クンズマヤー(祖納地区)、トウトウヤー(古見地区)などと呼ばれて、イリオモテヤマネコやイエネコ(野良猫)とは区別されてきた。1965年には戸川が地元猟師の話を受け、猟師が数ヶ月前に虎毛のオオヤマネコを殺し、死体を捨てたという南風見を調査している。10日前までは白骨化してそこにあったと言うが、折からの雨により流失していた。その猟師は寸法を計測しており、肩高は大人の膝くらい、尾長は約60センチメートル、全長はイエネコの2倍ほどであり、イリオモテヤマネコのようなヒョウ柄ではなく、緑がかった虎毛であったという。 1982年6月2日の読売新聞には、ヤマピカリャーの目撃談の記事があり、長年イノシシ猟をしている猟師がテドウ山にかけての山中で10回にわたり目撃しうち1回は捕らえて食べているほか、子連れのヤマピカリャーの目撃談も寄せられている。その後も目撃談は存在し、例えば2007年9月14日には魚類の研究のために滞在中の秋吉英雄島根大学教授によって、イリオモテヤマネコより大型で尾が長く斑紋を持つ動物が、島内でも人跡まれな南西部の崎山半島で目撃されたことが伝えられている。一方、今泉(1994)は、地元猟師が保有していた、“大ヤマネコ”とされる頭蓋骨を見聞したところ、実際はイエネコであったという。 一般に体の大きさと行動圏の広さは比例し、体の大きさが大きいほど行動圏も広くなる。一般的にイリオモテヤマネコの行動圏は6.5平方キロメートルほどであるが、目撃されているオオヤマネコの大きさから考えると行動圏は約30平方キロメートルの行動圏が必要となり、面積が約290平方キロメートルの西表島には、10頭弱のオオヤマネコしか生息できない計算となる。
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