モスクワの政変
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 23:22 UTC 版)
「エストニアの独立回復」の記事における「モスクワの政変」の解説
3月3日にエストニアが独自に実施した独立回復に関する住民投票においては、「エストニア共和国の独立回復を望むか」との質問に対して、ロシア人を含めた有権者の6割強、投票者の8割弱が賛成した(ロシア人による投票の内訳は、賛成が3割、反対が4割、無投票が3割程度と推測されている)。同月17日にモスクワにより実施された、連邦の維持に関する全連邦国民投票(ロシア語版)も、エストニアを始めとしてバルト三国など6か国はボイコットしている。 ソ連崩壊の可能性が現実のものとなるなか、ゴルバチョフはあくまでソ連経済圏の維持を試み、新連邦条約に各共和国の決定権を盛り込んだ譲歩宣言を、4月24日に発した。しかし、連邦副大統領ゲンナジー・ヤナーエフなどの改革反対派にとってみれば、新連邦条約の締結こそが事実上のソ連解体であった。8月19日、ヤナーエフら強硬派は国家非常事態委員会を組織してゴルバチョフを軟禁し、全権掌握と非常事態を宣言した(八月クーデター)。
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