メンバーの脱退・そして解散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 00:40 UTC 版)
「劇画工房」の記事における「メンバーの脱退・そして解散」の解説
ところが、1959年8月、「劇画工房」メンバーは東京の辰巳ヨシヒロ宅に急遽招集される。そこで辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを、松本正彦の3人が「劇画工房」からの脱退を表明する。脱退の原因には諸説あるが、桜井昌一は「出版社の交渉を第一線で行っていた3人にとって、他のメンバーより現状に対する危機意識が強く、グループ活動の制約から逃れたかった」、佐藤まさあきは「人気漫画家である3人とその他のメンバーの人気格差によるギャラの配分への不満」「何度呼びかけても上京しない京都在住の山森ススムとK・元美津に対する不満」があったと言及している。 ついで10月には佐藤も脱退。山森とK・元美津からの音信も途絶える。1960年1月、残った桜井昌一と石川フミヤスが積立金を精算。劇画制作集団「劇画工房」は終焉を迎えた。
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