メドベージェフ政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:51 UTC 版)
2008年3月の大統領選挙で大勝し、正式に大統領となったドミートリー・メドヴェージェフはプーチン路線の継承を表明。また、メドヴェージェフ大統領はプーチンを首相に指名し、メドヴェージェフ大統領・プーチンを首相による双頭体制となった。国家による経済の統制を引き続き行い、また、「強いロシア」の復活を目指し邁進するといったことである。2008年8月にはかねてから対立関係にあったグルジアとの間で武力衝突が発生した(南オセチア紛争)。この紛争で、プーチン時代からかねてより悪化していたアメリカとの関係が更に悪化し、「新冷戦」と評するメディアも表れた。メドヴェージェフ自身、「再び冷戦が始まっても何も怖いものは無い」とアメリカとの対決姿勢を表明している。そして、南オセチア紛争から程無くして世界の景気が急速に悪化、ロシアの経済成長を支えていた外国資本が一気に去り、オリガルヒも没落するなど、ロシア経済は大きな打撃を受けた。メドヴェージェフは「景気悪化はアメリカによる一極支配が原因」とアメリカを非難し、更にプーチン首相と連携して不況を乗り切る構えを見せた。そのために、国家に有益なオリガルヒのみを救済、国のコントロール化に置く政策を実行した。しかし、メドベージェフ政権末期からロシア国内で体制に対する反発が強まり始め、2011年の下院選で与党「統一ロシア」は大きく議席を減らす。2012年の大統領選ではプーチンの再登板にこぎつけるものの、多くの抗議運動にあう結果となった。メドベージェフは2012年で大統領の座を再びプーチンに譲り、自身は首相になった。
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