メッツとザール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 18:03 UTC 版)
「第17SS装甲擲弾兵師団」の記事における「メッツとザール」の解説
9月初め、師団は第49SS装甲擲弾兵旅団と第51SS装甲擲弾兵旅団を吸収し、装甲擲弾兵師団としての戦力を増強した。しかし、補充の装甲部隊と突撃砲の到着はゆっくりであった。9月8日師団は、アメリカ第5歩兵師団とアメリカ第80歩兵師団によりモーゼル川を越えて構築された橋頭堡を破壊し前線を押し戻す任務を受けた。連合国の橋頭堡をめぐる激しい戦いの後、9月13日作戦は失敗し師団はザール地方に撤退し、メッツを守る準備を始めた。師団はForêt De Facq近傍のザール地方での激しい戦闘を行った。9月17日Forêt De Facqは陥落し、部隊は大きな損害を受けた。10月は、アメリカ軍がFort Driantへ攻撃を行うものの、その試みは失敗する。11月8日、アメリカ陸軍航空軍(USAAF)が師団司令部に対する奇襲に成功し、師団の戦闘部隊は、指揮するものがいなくなってしまった。ヒトラーは師団をメッツから撤退させた。師団の残りは休養と再編成のためにファウルクーモント近傍のマジノ線まで撤退した。この間、師団は、マックス・ジモン(英語版)SS中将のSS第13軍団傘下に移管された。アメリカ軍は1944年11月22日にメッツを解放した。
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