メキシコ国外での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 03:15 UTC 版)
「エル・ハルコン」の記事における「メキシコ国外での活動」の解説
日本には1978年8月、全日本プロレスの『第2次サマー・アクション・シリーズ』に来日。前年にミル・マスカラスとのコントラ・マッチに敗退していた当時、すでにメキシコでは素顔で活動していたものの、日本へは覆面レスラーとして登場し、同時来日していたマスカラスとの抗争を再現した。8月31日には大阪府立体育館にてマスカラスの持つALLL(Alianza Latinoamericana de Lucha Libre)ヘビー級王座に挑戦したが奪取ならず。9月13日には愛知県体育館にて再びコントラ・マッチで対戦するも、またも敗退して日本でも覆面を剥がされている。 アメリカのNWA圏でも実績を残しており、1978年から1980年にかけて、メキシコ系人口の多いロサンゼルスやテキサスでベビーフェイスのマスクマンとして活動。ロサンゼルスでは1978年2月24日、チャボ・ゲレロと組んでロン・バス&ドクター・ヒロ・オオタからNWAアメリカス・タッグ王座を奪取した。同地区のトップ・ヒールだったムーンドッグ・ロニー・メインとも抗争を繰り広げ、同年4月7日にはメインの保持していたNWAアメリカス・ヘビー級王座に、自身のマスクとメインの髪の毛を賭けたコントラ・マッチで挑戦している(メインのセコンドに付いていたロン・バスに試合中に覆面を剥ぎ取られ反則勝ち)。ロサンゼルスには、スペル・アルコンに変身後の1987年にもメキシコ版WWAの興行に出場しており、同年8月にティニエブラスを下しWWA世界ヘビー級王座を獲得した。 フリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサスのダラス地区では、1979年下期に大型マスクマンのザ・スポイラーを相手に、同地区のフラッグシップ・タイトルだったNWAアメリカン・ヘビー級王座を巡る覆面レスラー同士の抗争を展開。タッグではホセ・ロザリオとのメキシカン・コンビで活躍し、1979年6月1日にスポイラー&マーク・ルーインを破りNWAアメリカン・タッグ王座を獲得した。同王座は翌1980年8月にも、若手時代のケリー・フォン・エリックと組んでミスター・ヒト&ミスター・サクラダの日本人コンビから奪取している。同年8月1日にはジノ・ヘルナンデスを破り、NWAアメリカン・ヘビー級王座への2度目の戴冠も果たした。
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