マーベル離脱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 04:21 UTC 版)
「スティーヴ・ディッコ」の記事における「マーベル離脱」の解説
ディテールが効いていて憂鬱と不安を感じさせるディッコ独特の画風はどの作品を描いていてもすぐに見分けがつき、読者から強く支持された。特にスパイダーマンというキャラクターは、苦労の多い私生活も併せて、ディッコ自身の志向とうまく噛み合った。スタン・リーも38号にわたってディッコと共作を行う中でそれを認めるようになり、後半の号ではプロット作成のクレジットを彼に譲った。しかし、ディッコは4年にわたってスパイダーマンを描き続けたところでマーベルを離れた。 そのころディッコとリーは会話を交わすことがなくなっており、作画や編集に関する要求は第三者を介していた。軋轢が生じた経緯はリーにも明らかではない。リーは2003年に「スティーヴとは結局一度も打ち解けたことがなかった」と述懐している。不和の原因はグリーンゴブリンの正体について意見が対立したためだという通説があるが、ディッコは後にそれを否定し、リーが契約を破ったためだと語った。 スタンは何も知らなかったからね。私がスパイダーマンのストーリーと表紙に何を描いているか。[プロダクション・マネージャーの]ソル・ブロツキーが原稿を持っていってようやく知るんだ。[その後でリーがセリフを作る。] … だから意見が合うも合わないも、やり取り自体がなかった。 … グリーンゴブリンだろうが何だろうが問題が起きるはずがない。[そういう制作体制だったのは]第25号より前から、私が辞める号までだ。 スパイダーマンの作画を引き継いだジョン・ロミータ・Srは、2010年に証言録取書(英語版)の中で「[リーとディッコは]共作などできない関係になった。ほとんどどんなことでも意見が合わなかったから。文化、社会、歴史、すべてにおいて。キャラクターの扱いについても…」という記憶を語っている。 1966年7月にマーベル社から発行されたコミックブックの "Bullpen Bulletins(英語版)"(読者欄)ではディッコに友情のこもった別れの言葉が贈られた。一例として『ファンタスティック・フォー』第52号では「スティーヴから個人的な理由で辞めると聞いた。長年一緒にやってきたのに残念だけど、次の取り組みでも成功するよう、才能あるスティーヴのために祈っているよ」と書かれた。
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